質問力?

インサービスの様子

今日は、インサービス、周辺の学校の先生が集まって、勉強会がありました。今回の勉強会は、ニュージーランドのボランティアが、中心になって、実施しています。昨年も、同じ頃に、インサービスがあったことを思い出しました。昨年11月23日のブログに、書いてあるのを、読み返したのですが、1年たっているという実感がありません、・・・。
昨年よりも、パプアの先生が、発表を行う部分が、増えています。その点は、進歩だと思います。今パプアで進めているのは、「生徒中心の教育」です。いままでは、「一方的に、先生が、黒板に書いて、教える。」というスタイルでした。これからは、「生徒が主体になって、学習をする。」ということを、目指しています。
日本でも、「理科実験を行う時間が十分ではない。」ということを、耳にしますが、パプアでの、理科実験の現状は、その比ではありません。生徒がメスシリンダーで液量を量ることすらできません。それくらいであれば、「日本でもある!!」と思われるかもしれませんが、・・・。パプアの場合、5cmの長さの「ヒモ」を用意して、「mm」単位で、長さを記入させると、50mmではなく、5mmと記入する生徒の割合が、かなり高いです。ケアレスミスというよりも、単位という概念をよく理解できないらしいのです、・・・。定規の使い方もよくわかっていない、・・・。(ちなみに、パプアの定規は、センチメートル単位と、インチ単位の両方の目盛りがついているので、どちらを使ったら良いのか、分からない生徒もいます、・・・。)
今回の、ニュージーランド人のボランティアさんのインサービスは、昨年のものと比べて、はるかによくなっています。それにしても、「パプアニューギニア」と、「オーストラリア」、「ニュージーランド」の、学力差は、どこから来るのか、不思議です。「オーストラリアの教科書」とか、見ることがあるのですが、レベルも低いし、説明の書き方、構成等、日本のものと比べると、「日本の教科書で勉強する子供達は本当に恵まれている。」と、実感します。
ところが、OECDの、学力テストの結果を見ると、オーストラリアは、かなり上位に位置しています。たぶん、パプアが、OECDに参加すると、ダントツで、最下位となることは、容易に想像できます。
日本が、OECDの学力テスト結果で、順位を下げていることについてですが、下位層の成績が落ちていることが、原因のようです。上位層の成績は落ちていないらしいです。「格差の大きな社会」ほど、OECDの、学力テストの順位は、下になります。たとえば、米国の順位が、極端に下位にあることが、そのことを示しています。
日本の場合、世間の関心が、「下位層を引き上げること。」よりも、「東大XX人合格」みたいな、「上位層」の方にばかりに注がれているので、OECDの順位が落ちていることについては、ある程度、仕方が無い、・・・。「数学オリンピック」のような場で、日本人も上位に入っていますし、・・・。社会として、下位層を、切り捨てて、「OECDの順位については、気にしない。」というのも、ひとつの考え方なのかもしれません。OECDの順位を引き上げようとするのであれば、「下位層」をどうするか、ということに対して、もっと教育における資源を投入すれば、日本の場合、何とかなると思います。世の中の流れとしては、教育の資源は、どんどん「上位層につぎこむ。」という流れですが、・・・。
ニュージーランドのボランティアさんは、パプアニューギニアの先生が、「生徒に質問を投げかけることの重要性」について、くりかえし、説明を行いました。ただ、生徒に適切な質問を投げかけるためには、理科の基礎的な知識があることが大前提です。ニュージーランドのボランティアさんは、例として「なぜ、赤ちゃんの1分あたりの呼吸の回数は、大人に比べて、多いのでしょう?」と、質問したのですが、パプアの先生には、1つしか理由が思い浮かばなかったようです。ニュージーランドのボランティアさんは、ちゃんと、別の理由も知っていたようですが、それは説明せずに、別の話題に話を変えました。
ある程度は、教師の持っている知識を、一方的にであれ、教えないと、何ともならない部分もあるし、たぶん、ニュージーランドでも、「詰め込み教育」の部分も存在していて、そうでない部分も存在していて、学力となっているはず、・・・。
「なぜ、赤ちゃんの1分あたりの呼吸の回数は、大人に比べて、多いのでしょう?」という質問を、中学校の保健の授業で、体育の先生がしたことを、おぼえています。そのときは、実験をしたり、生徒自身が調べたりするのではなく、「板書」で、先生が答えを示すという、シンプルな教え方でした。それでも、知識として身に付いている・・・。
教科書の質は低くても、ニュージーランドのボランティアさんは、ちゃんとした、「理科の知識」を持っています。パプアの教師は、欠けている部分があります。この差は、「生徒が主体になって、学習をする。」ということが、パプアでできるようになっても、埋まらないと思います。この差は、いったいなんなのだろう???オーストラリア、ニュージーランドの教育の強みは何なのだろう???
大前提として、「自分が知らないことを教えられない。」というのがあると思うのですが、パプアの先生の場合、わからないことを、調べずに、「思いついた考え」を、教えてしまっているところがあって、・・・。
「質問する技術」も、大切なのですが、そのまえに、「パプアの先生の基礎的な知識」を向上させる必要があります。でないと、「うそ」を教えることになってしまう、・・・。でも、簡単ではない、・・・。